スープのよろずや「花」

Vol.35 人が人を裁くとはどういうことか(1)

2009年5月より裁判員制度が導入されて、今年6年目を迎える。昨年までの5年間に、約4万9000人の人たちが裁判員を務めた。市民の出席率・辞退率をみると、選任手続期日に出席を求められたにもかかわらず、辞退もしないままに出席しなかった裁判員候補者の割合は増加している。すなわち、選任手続期日に出席した裁判員候補者数の出席率は、2009年83.9%、2010年80.6%、2011年78.3%、2012年76.0%、2013年74.0%と減少している。一方で、選定された裁判員候補者のうち、辞退が認められた裁判員候補者の割合は、2009年の53.1%から2013年の63.3%に上昇している。また、裁判員に選ばれた場合、私たちが判断しなければならない最も重い刑は「死刑」であり、これまでに、裁判員裁判で言い渡された死刑判決は、21件にのぼる。

死刑制度への疑問を表明するなど、司法制度について積極的な発言を行っている作家の高村薫氏は、一般人が人を裁くことになる裁判員制度には反対の立場を取る。その高村氏に、インターネット放送局 「ビデオニュース・ドットコム」代表の神保哲生氏が、裁判員制度施行半年前にインタビューした記事を、あらためて読みなおし、考えてみたい。

スープのよろずや「花」代表 伊藤真美

市民感覚で人を裁けるのか

神保: 高村さんは、裁判員制度についてはどのような考えを持っているか。

高村: 私は、そもそも人が人を裁くということを考えた時に、法律の専門家が行うということが、人が人を裁くという制度を成立させている根拠だと思う。だから、紙一枚で法律の専門家でもない一般市民が借り出され、法廷に座って人を裁くということ自体が、私には理解できない。もしそんなことが許されるのであれば、裁判という制度の根拠をどこに求めたらいいのかということになるので、私自身は市民が一般参加するということ自体が理解できないという立場だ。だから、裁判員制度には結果として反対だ。私自身が一市民として、人を裁くということができるとは想像できない。

神保: まさにそこが、裁判員制度の是非をめぐる議論の重要な争点だと思う。推進派はむしろ、市民の司法参加を導入の根拠にしている。専門家だけに任せるのではなく、市民も参加することで、自分のこととして考えるようになるとの主張だ。この議論についてはどのように考えるか。

高村: 今回導入され刑事裁判で考えると、市民感覚というのはそもそも何ぞやということになる。市民感覚は、時代や社会などによりいくらでも変わっていくもので、根拠がない。根拠がないものを根拠にして人を裁くということになると、同じ犯罪で、ある時には有罪になり、ある時には無罪になる。あるいは、ある人は懲役10年、ある人は20年ということが根拠なしに起こる。これは、私には想像できないことだ。市民感覚を根拠にするということ自体が私にはわからない。

作家・高村薫氏インタビュー

2008年11月25日 ビデオニュース・ドットコムより

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