第33回「日常生活を支えるデイセンターの役割」

 これまで高齢者のデイケアを行うなかで、介護保険の対象にならない64歳以下の看護介護を必要とする方のデイ、障害児者のデイの必要性を知らされ、ニーズを満たす場がこの地域にまだまだないことを知りました。今ある制度を利用してまずはできるところからと、今年7月、当院に誕生したデイセンター「庄左ヱ門」は、身体障害者の支援費を利用してのデイサービス事業所としての指定を受けました。
 緩和ケアを必要とする人が日中に集う「デイホスピス」という言葉があります。日本ではまだなじみがない言葉ですが、イギリスでは、ホスピスというとホスピス病棟ではなく、「デイホスピス」を指すぐらいになっています。高齢者も、障害者も、病気の人も垣根なく集まれるデイセンターであると同時に、健康なふつうの人間が行きたい、行って楽しいと思う場づくりについて、皆さんとともに考えたいと思っています。
 2000年3月の勉強会で、在宅リハビリテーションについてお話いただいた守口先生に、今度は、デイセンターづくりについて、デンマーク視察のお話を織り交ぜながら、作業療法的視点からお話をお願いしました。また緩和医療領域におけるリハビリテーションの分野でご活躍の安部先生をお招きしました。
 医療、介護に従事する方、関心のある一般の方々の多くのご参加をお待ちしています。

庄左ヱ門オープン記念講演
 ☆人が集まる、人と出会う

講師:守口恭子先生

1973年、日本女子大学卒。出版社勤務の後、
1983年、国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院卒、作業療法士。
精神科作業療法を経て、老人保健施設、高齢者在宅サービスセンター、特別養護老人ホームに勤務、また機能訓練事業、地域リハビリテーション活動に従事する。2003年~、健康科学大学作業療法学科教授。
著書:「痴呆性老人のための作業療法の手引き」(共著)ワールドプランニング・1996
「老年期の作業療法」(共著) 三輪書店・2003

☆緩和ケアにおけるリハビリテーションの視点

講師:安部能成先生

1984年東京都立府中リハビリテーション専門学校卒、淑徳大学大学院博士後期課程終了。
作業療法士。公立総合病院で身体障害及び精神障害の医学的リハビリテーションに従事。
1991年4月より千葉県医療技術大学校作業療法学科教員を経て、1995年4月より千葉県がんセンター整形外科(機能回復訓練室)勤務。
我が国では前例の少ない、治療的、緩和的あるいは終末期を含めたがん患者のリハビリテーションに取り組む。

日時 : 2004年9月23日(木) 午後2時より5時まで
場所 : 花の谷クリニック 外来ホール


~勉強会のご報告~

 医療と暮らしを考える会、第33回目の勉強会は、「日常生活を支えるデイセンターの役割」をテーマに、作業療法士で健康科学大学教授の守口恭子先生と千葉県がんセンターの安部能成先生をお呼びして、庄左ヱ門デイセンターのお披露目をかねて行いました。

 当日は、近隣の保健医療福祉関係者、患者さんやそのご家族、地域住民の方等々たくさんの方々にご参加いただき、大盛況となりました。当日の勉強会の一部をご紹介します。


「人が集まる、人と出会う」 (守口先生のお話)

 花の谷クリニックは緩和ケアをやってきています。世の中には癌じゃない病気の方もたくさんいるし、病気じゃない人も病気になりそうな人もいっぱいいるのですが、緩和ケアは今まで、癌になった人だけが対象でした。それが、どんどん対象を広げ、大きくなってきています。

 この建物の裏手に、病院ではなくて、庄左ヱ門というセンターができた。センターというのは人が集まる場です。なぜ人が集まらなければならないのか。なぜ自分だけじゃいけないのか。そのことを今日はちょっと考えてみたいと思います。

なぜ他人といることが必要か
 まず、「この人、お料理が上手なのよね」とか、「この人は穏やかで信頼のおける方なの」とか、「ああ、この人はニコニコしてやさしそうな人」とか。誰かがいて、その人のことをそう思ってくれる。人との関係があって初めてどういう人かがだんだんわかってきて、その人らしいという認識が出てきますよね。その人らしいという認識は一人ではできない。他人といるなかで生まれると、私は思うんです。

 それから、たとえば、うちの家族は日曜日に顔を洗わないんです。
外の人に会わないと顔を洗う気にならない。寝巻を着ていても平気ということもあります。いい寝巻であれば1日中それでいいじゃないか。お客さんが来るとなったら、ああ、ちょっとまずいかなというふうに、人と出会って初めて緊張する。固くなってコチコチになって、興奮してというのではなく、人間は心地よい緊張を持たなかったら、どうも一人では頑張れないというところがあります。庄左ヱ門に行く、そこで誰かと出会うとなると、この服を着ようかなとか、前の晩はお風呂に入っておこうかなとか、そういう緊張感があるかもしれない。
 もう一つは、家族との違いですね。家族のなかではどうしても、自分は弱くて相手は強いとか、自分は一家の主で相手はお嫁さんとか、関係は固定されてしまいます。いい関係であっても、ずっとその関係を続けていくと煮詰まっていくということがありませんか?
家族というのは一番助けてくれてありがたいわりには、家族だけだと本当に息が詰まってしまう。
 一方、デイセンターに来ると、一人ひとりとの関係性がみんな違うんですね。ある人は自分より強い、ある人は自分より弱い、ある人は自分のことを助けてくれる、ある人はけっこういじわるだなあと。家族だったら黙ってやってくれることでも、他人には言わなければやってもらえないということがわかったり、他人との関係がいろいろあって、関係性の中で自分は動かなければならないんです。
それから、人と会うと、ストレスが発散できたり、わからないことを聞いてみたり、家では言えないことが言えたり。他人といることはとても大事なんです。
 病院は、病気じゃないと行かないけれど、デイセンターというのはみんなが行っていい、みんなが集まるところとして作られた、人が集まる「場」なんですね。
 町でやっている趣味のサークルならいろんなメニューがそろっていて、いろんな人と出会えるかもしれない。でも、そこに行けない人もいる。そういう人は庄左ヱ門のようなデイセンターを第一のステップにして、ここを本拠地にしてもっと広い社会に出る。そういう流れで、まずは人といてみる、人と関わるということが大事なのです。

花の谷クリニックと庄左ヱ門、2つの間の違いと共通点
 花の谷クリニックには緩和ケア病棟があるので、ここで人生の最期を迎えることは多いと思います。でも、伊藤院長は、その人は本当はどうしたいのか、帰りたくて帰れるのなら帰してあげたいと考えている。それと庄左ヱ門はどう違うのか。うちにいる人に対して出て来なさい、来たほうがいいですよ、というのですから。
 花の谷クリニックと庄左ヱ門は、「その人らしい」ということは変わらない。外国語で言ったら「自己実現」、自分のしたいことをする。自分はこれでいいのだと思えるような人生を送るという意味では、目指すところは同じだと思います。でも、ケアの質が違うと思うんです。
 庄左ヱ門に来て、なんでもしてもらうのだったら、それは本当に自分がしたいことを見つけることにはなりません。自分でしたいことを見つけようと思ったら、自分で探さなければ。庄左ヱ門というセンターでは、自分がしたいことをする勇気を持って、まず一歩踏み出したらいろいろ展開する可能性があるのかなと思うんですね。

作業療法とは何か・・・二つの事例を通して
 私は作業療法士ですが、作業療法では、特別なことではなく、日常生活のなかの顔を洗う、ご飯を食べる、トイレに行く。レクリエーションをする、遊ぶ、どこかに出かける、温泉に行く…、いろいろやっていることをぜんぶ「作業」と捉えています。
 日本の作業療法士の80%は病院や高齢者の施設にいて、病気になって訓練が必要になって初めて出会う存在になっているのですが、もっといろいろなお手伝いができる、いろんなところで呼んでいただいて初めて仕事になるのだと思っています。

事例1 生活を整える・・・その人に合った車椅子に変えただけで
 車椅子に座っていたらずり落ちてくる方がたくさんいる。どうしてずり落ちるのか。車椅子が合っていないんじゃないかしら、座り方が悪いのではないかしら。作業療法士は一所懸命考えます。
 車椅子には座れないのに、ソファには座れる方がいた。座面がつるつるのところに座っているとずってしまうけれど、きちんと座れば座れるということがわかりました。
 ある方は小柄で、普通の車椅子のサイズでもすぽっとはまりこんで、すやすや寝ている。この人は寝ているのが好きなのよと思われていた。
すやすや寝たまま食堂に行ったらそのままお昼になった。介護の人が口にスプーンでご飯を入れるという介助の仕方をしていたので、食堂のテーブルがご本人にはとても高い。寝て起きて口にスプーンですからご飯が全部食べられない、食べられないと弱ってしまうと問題になっていた。
 合った車椅子に乗るのはものすごく大事なんです。この方が小さな車椅子で肘掛けの高さだとか全部合わせて乗ってみたら、きちんと座って目が開いたんです。肘掛が肘の高さだったら、手をかけて座っている。目が開いている。手も動くかもしれない。自分でご飯も食べられるかもしれない、という話になります。
 車椅子を変えた。そうしたらご飯の可能性が出てきました。車椅子に板を一枚渡したて低いところにお盆を置いたら、下を見ることができる。下を見たら自分が食べるご飯が見える。手は使えるから手でつまむ。お箸は使えなくても手は使える。手で食べられる。自分が食べたいものを食べる。その結果、摂取量が上がる。家族の人がびっくりして喜ぶ。お刺身が好きだと言えば毎日差し入れてくる。毎日お刺身を食べながらその人も元気になってくる。介護の仕方も声かけになりました。「次は卵焼きを食べたら?」と。促せば食べられるということで、ものすごく日常生活が変わったんです。

「良くなる」だけを求めない・・・毎日の関わりが明日につながる

 1年ぐらいの間は本当に変わりました。でも、その方はとても高齢なのでだんだん弱ってこられました。どんどん良くなるというものではないのですね。しかし、良くなるかどうかではなくて、「今どうすることが大事なのか」がケアだと思うんです。
 リハビリテーションはもともとは良くなるのが大前提でした。病院でやらなければいけないことをやり終えて良くなって退院する、そのためのリハビリテーションをするということで理に適っているのですが、病院ではないところで果てしなく人間は良くなるのかというと、なかなか納得するような結果は得られない。しかしそれがケアだと思うのです。ケアというのは毎日毎日の関わりで、毎日の関わりが充実していれば、明日に希望がある。明日の希望というのは良くなることだけではなく、人と会って楽しかったり、いろいろな可能性があることを含めてケアだと言っているのです。
 そしてその前に、私たち専門家としては、本当にその人の全身状態は万全か? ということを整える必要があります。
専門家のスタンバイというのはそういう意味だと思うのです。ボランティアさんだとかいろいろな方が関わって人間関係でいろいろな可能性があるのですが、その前にきちんと生活を整えるというのが作業療法士の役割なんです。

事例2 「これでよし」の声が聞けた・・・人がいたからこそ実現できたこと 
 ある方は脳腫瘍で、とても具合が悪くなって来られました。身体の左側はぜんぜん動かず、右側はなんとか動くのですが。この方、1日中、痛い、痛い、なんとかしてくれと絶叫している。よくあんなにエネルギーがあるなと思うぐらい叫び続けておられました。私は1日中、どうしてくれと叫ぶことをみんなやったんですが、やってもやってもきりなく叫ばれたんですね。それで「疲れ果てて何もできることがなくなっちゃった。ごめんなさい。最後に私、もう帰ろうと思うのだけれど、何かやりたいことはないですか?」と聞いてみました。そうしたら「一服お茶をたてさせて下さい」と言われたんです。こんな状態でお茶をたてられるの?と聞いたら、お茶の先生だったというんですね。
 生活歴を聞いたはずなのに、絶叫があまりに凄くてなんとかしなければならないと家族も自分も私たちも思っていたものですから、お茶の先生だというそんな大きなことを知らないで関わっていたんですね。
もう駄目と思ったとき最後にお茶をたてたいと言われたので、あり合わせのものを持ってきて座ってもらったら、右手だけで本当に上手にお茶をたてていただかれて、そして「これでよし」と言われたんです。
 これで終わると思われるでしょう? 人がいるとどうなるか。それを見ていた周りの人が、私にもたてていただけませんかと。そういう人が現れるとお茶をたてちゃうんですね。痛いと一言もおっしゃらないで、9人ぐらいお客さんが現れても9回たてられるんです。じいっとご自分がたてたお茶をいただかれるのを見つめて、「ああ、おいしかったよ」と言われると、「これでよし」とおっしゃられたんですね。
毎日やったらくたびれるから1週間に1回しかできないのですが、2ヶ月続きました。2ヶ月めにもう疲れてしまって、「3人まで客を取る」と言われました。でも途中でくたびれて「あなたが代わりなさい」と。しょうがないから私がやりました。叱られ叱られ指導されて、残ったお客さんに私がお茶をたてることを見てくださって、「これでよし」と言って3ヶ月めだったんですね。
 その後、ある日重い痙攣が起きて、救急車で病院に行かれてその方と私たちとの関わりは終わりになりました。家族の方はお茶の道具を全部寄付して下さって、「本当にありがとう。皆さんがいてくださったからこういうことができたんです」と言われたんです。「皆さんがいてくださったから」、いろんな人がいるとこういうことができる。
集まるっていいことだ、何かをするっていいことだ、その人らしいというのはこういうことなんだと思うんです。

デイセンターの場は何もない場 だからこそみんなで作る場

 1日中陶芸するをするなど趣味を見つけてする人がいたり、それを見る人がいたり、上手だなあとか見物人がいたり。デイというのは机を囲んでいろんなことができるんです。編み物が好きだけれどもう自分は編めないという人は、編み物をしている人の隣でニコニコ笑っている。何もできないではなく、編み物をしている人の隣に座るということができるんですね。絵を描いてくださる人がいると見えるじゃないですか。そしてみんなの作品を見られるじゃないですか。

 自分の形見にと陶芸をつくっている人がいる。ケアをする人は助けてあげているのですが、成り代わるのは形見ではありません。ご自分ができる範囲でやればいいということで我慢強く隣に座っているというケアを受けながら形見を作っておられます。
 娘さんと二人暮らしで、脳出血のために左が動かなくなった50代の方。障害がまだご自分で認識できていなくて娘さんにいつも怒られている。怒る娘と怒られるお母さんの関係が膠着状態になっていたのですが、デイにくると、一生懸命になっていろいろ作られようとする。
そういう姿を見た娘さんは、ああ、お母さんはこういうこともできるんだとわかって、あれが駄目だ、これが駄目だとお母さんに言わなくなったんですね。
 何がなんでも歩きたい方。平行棒を入れてもらって歩く訓練をしたんですね。機能訓練ではなく、陶芸をやるのと同じで歩くことをしたいのならそれをやりましょう、ということをしていました。体操もしました。たまには藍染めをしたらどうだろうと、みんなで思い思いのものをつくりました。夏にかけるものを施設に頼まれたのでみんなで作ったりしました。

デンマークのデイ
 最後に、伊藤先生がデンマークと比較してほしいと言われたんですね。デンマークには私ずっと行っているのですが、デンマークの「デイ」というのは作業療法士はいないんです。日本のように、「木工がいやだったら足台を作ったら?」なんて言うそういうような余計なおせっかいは一切やらないんです。
 でも、福祉用具で本当に必要は車椅子だったり杖だったりするものはお店で買う必要はまったくなくて、作業療法士がかならず立ち会ってその人に合ったものを提供するということが確実に制度として成り立っているのですが、そうではないところにはあんまり作業療法士はいないんですね。
 お昼になったらお昼ご飯が出るんです。カフェがあってお盆が持てない人にはこういうもの(写真・補助具)があったり、本当に至れり尽くせりの部分もあるのですが、余計なおせっかいを一切していないという意味では何をやるのか、自分たちで考えなければいけません。
一緒に考えましょうというのはありません。そういう違いがはっきりあります。
 日本の作業療法士というのは、作業という部分を、手工芸をしたり工芸をしたりというところまでつきあえるように幅広く活動しているものですから、こっちのほうがいいかなと言いたいんですね。やる気のない人にはどうしたらいいのか、なんとかしてやる気を出すにはどうしたらいいかとか、木工は嫌だという人に、「足台を作ってみたら?」と言ってみるみたいに、あの手この手でやっているのですが。私は日本の方がいいのではないかと思っているんですね、じつは。日本の方がいいのはみんなで考えようというのがあって、日本のほうがいいんじゃないか、と。

明日への可能性をつなぐケア
 ケアというのは看護婦さんがやるものだろうな、ヘルパーさんがやるものだろうなとそういうふうに思っていらっしゃるかも知れませんけれども、私が大好きな本、『ケアの本質』という本なのですが、そこに書かれていのは、人と人との関わりはみんなケアなんだというような考えなんですね。ですから人ごとではないんです。
家族の中でケアをするとか、本当に今居合わせた人と関係をもっていろんなことをしてもらう、してあげたりすることがみんなケアにつながるんだという発想なんですね。
 ケアをされるということは、明日への可能性をつないでいるんです。一緒にがんばろうと思っている人がいたりとか、明日はちょっと良くなるかもしれない、明日は何が起きるか、明日はどんな日になるのかなあって思える。冬から春になるように何か可能性を秘めて動き出す。動き出す場として、「庄左ヱ門」というのは新たに加わったというふうに私は考えているんです。どうでしょうか? 皆さんはまた違う印象を持たれているのかもしれないと思うのですが、私の経験の中で私が考えていることをちょっと投げかけとしてお話させていただきました。


「緩和ケアにおけるリハビリテーションの視点」 (安部先生のお話)
 安部先生の実践に基づく貴重なお話は、このスペースでお伝えするのは難しく、地元の房日新聞のコラムにとりあげていただいた記事のなかから、以下に一部抜粋させていただき、報告に代えさせていただきます。

 次も、療法士さんの話だが、こちらはがんセンターの機能回復訓練室勤務で「緩和ケアにおけるリハビリテーションの視点」がテーマ。
 理路整然とした講演と資料で、かなりの専門的なデーターを提示しての話題であっても、パソコンの映像と手元の資料が一致しているので理解しやすいのだ。特に「緩和リハビリの目標設定」の分析は納得できた。縦軸に基本姿勢をとり「寝たままの人」「座れる人」「歩ける人」をとり、横軸に月単位、週単位、日単位の目標を書き込んで基本とする。この基本を基にして患者の特性を加味する訳だ。
 この日の勉強会で得たものは、日本の医療も急速に進歩しているという実感である。いままで医師中心の医療が次第に患者中心になっていること。それにあらゆる分野の専門家とのチームで、治療や養生がなされることだ。患者も成長が必要だ。

2004.9.26 房日新聞『展望台』より


〈会場とのやりとり〉(安部能成先生との質疑から)

発言:

リハ病棟で医師をしている。リハビリと緩和ケアはまだまだ接点が少ないが、例えば浮腫が出たとき、ものが喉を通りにくくなったとき、マヒが進んだときの移動の問題など、緩和ケアのなかでリハビリの重要性は大きいと思います。もっとリハビリを身近なものにしていくためにも、デイセンターでおしゃべりや情報交換をしながらという庄左ヱ門での展開に期待します。

発言:

病棟でも外来でも豊かなコミュニケーションが大事だと思います。つい最近、家族を看取りましたが、医者の側から力を削ぐようなことを言われてしまうことが多い。医者はある程度の知識や見通しをもって話すのだろうが、聞いている側は「癌」という言葉でパニックになったり不安を感じたりしているんです。質問してもきちんと応えてもらえなかったりすると、この先生に言っても仕方がないという無力感にとらわれ、だからと言ってなかなか他の医者に変えることもできない。患者や家族の精神的な部分に対するケアがないんです。

阿部先生:

医療現場で白衣を着た専門職たちが癌をやったことがない、当事者の立場になっていないのが決定的な要因だと思います。
医療現場を志したときの思いは、おそらく皆、正しいのに、だんだんとこの世界のしがらみに絡みとられてしまう。患者さんの側からこういう発言や声をどんどん出していって下さい。そして仲間を見つけ、社会に訴えて下さい。白衣の人間はそこに学ぶことが必要です。

発言:

学校現場の問題と似ていて、現状はいっぺんに良くはならないので、一つひとつ状況を打開していくことが必要ではないでしょうか。対策を考えていくときに、システムそのものを変えるのか、具体的なやり方を考えるのか、道具立てを考えるのか、いくつかある。道具や機械などのハードでソフトを補っていくのも一つの方法。
患者の側が一つひとつの進歩を認め、何を変えていきたいのかをはっきりさせることも必要だと思います。

阿部先生:

技術をいくら改善させてもシステムそのものがダメな場合もあるのはご指摘のとおりです。こうした声を社会に対して発信していくことの大事さを、今日の会場に集まってくださったお一人おひとりが心に留めておいていただきたいと思います。

(文責:花の谷クリニック ソーシャルワーカー:朝比奈ミカ)

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