「ケア」をめぐる連続講座~第2回(1)~

「ケア」をめぐる連続講座2-1 2005.07.30

 阪井由佳子さんによる 「デイケアハウス『にぎやか』の挑戦」のお話に、すっかり時の経つのも忘れて聞き惚れました。
阪井さんの、エネルギーとおおらかさのなかにも、繊細さを感じさせる富山弁のなんと耳にこころよかったことでしょう。
富山弁のまんま活字にできなかったのが残念ですが、お話の概要をまとめさせていただきました。

「デイケアハウス『にぎやか』の挑戦」
 富山型デイは10年前、日赤病院を退職した看護師さんたち3人が立ち上げた「この指とーまれ」が始まりで、赤ちゃんからお年寄りまで、誰でもどんな目的でも利用できるのが特徴です。
 にぎやかは平成9年につくりました。何でも預かると言ったので、ある時など犬を預かってと言われました。それから多いのが定年後のお父さん。仕事を辞めて毎日家にいて、奥さんににぎやかにでも行ってきたらと言われ、にぎやかの前を行ったり来たりしながら声をかけられるのを待ってるんです。半分ボランティアで半分利用者みたいな感じですよね。にぎやかはいずれにせよ、利用者もスタッフもボランティアもごしゃごしゃで区別がつかない。自分は何なのか、自己申告ですね(笑)。
 にぎやかを始める前は、老人保健施設でPTとして働いていました。最初は熱く燃えてたんですが、自分がこの施設で暮らしたいかと考えたら全てが不自然に見え、空しくなってきました。自分が受けたくない介護を提供していることに、とても疑問を感じてしまったんです。でも、一人に着目して何かをやろうとしたら、効率性を優先する経営者からは疎まれる。やる気のない状態が続くなかで、確実に自分はダメになっていきました。

悶々としているなかで出会ったのが、キミさんです。80才を超えてぶくぶくに太り、にこにこしながら、「食べることだけが楽しみだ」と言っていた人でした。でも、ある日のカンファレンスで、「間食を止めさせる、息子にお菓子を持ってこさせない」という二つの方針が一方的に決められました。キミさんのたった一つの楽しみを奪うような方針が本人の知らない間に決まっていく。専門職の滑稽さや理不尽さ、その場にいるだけの自分に対するやり切れなさ…。息子だって、母親に対するすまなさからお菓子を土産にこまめに施設に来てくれてたんです。そんな気持ちにこれっぽっちも気づこうとせず、施設の方針だからと電話一本で「もうお菓子を持ってこないで下さい」と言ってしまう無神経さ。会議の結果、プランは実行され、キミさんの健康管理はばっちり、体重は確実に減っていきました。でもそんななかで、気づいた時にはキミさんは元気を無くし、衰えていったんですね。
 ある日のおやつの時間、みんなは羊羹を食べていたのに、キミさんだけグレープフルーツを前に座っていました。私は思わずキミさんに「あんぱんと100万円だったらどっちがほしい?」と聞いたら、キミさんは「あんぱん」て答えるんです。私はどうしてもそれを聞き流せず、翌日、あんぱんを買ってワクワクしながらキミさんの部屋に持っていきました。他のスタッフの目を盗んで一緒に食べたあんぱんはおいしかった!3か月毎日、あんぱんを持って部屋に足を運びましたね。

 いつものように部屋に行ったらベッドが片づけられていて、ある日突然、キミさんは亡くなっていました。ホントは思い切り泣きたかったのに、施設の仕事は何も変わらずいつも通り流れていくんですね。
 介護をしていた人が亡くなったとき、どんなに一生懸命関わっていても残された人に後悔は残ります。それでもあんぱんをあげてよかったなと。施設で働いた8年間で一番楽しかった。そういう仕事をやりたいと思いました。
 高齢者介護は残りわずかな人生を支える仕事です。「あんたらのお陰で悔いなくいい人生が送れた」と言ってもらえる、人生をつくっていく、手伝う、寄り添う、そんな介護がしたいと思いました。50人は無理でも、1人のことだったらできるかもしれない。
 「この指とーまれ」のようなデイをやりたいと言ったとき、周囲はみな反対しました。今から思えば無謀でした。同居していた母を説得し、自宅の1階を開放して平成9年に「にぎやか」がスタートしました。改装費は150万です。こんな小さな金額で空いた店や学校を使って、小さな拠点がまちのなかにラーメン屋の数ほどできればいい。そのなかから好みで選べるようになればいいと思います。

 始めたその日に利用する人が殺到すると思ったのに、1か月ほとんど誰も来なかったですね。介護保険の始まる前、何の制度もない頃で、1日2500円に食事代500円。近くの老健施設のデイは食費込みで1日700円。よく考えてみれば来るわけがない。
 ようやく来始めたのは、他のデイを断られるような、ワケありの濃いキャラクターの人たちです。でも、その人たちが来てくれるお陰で私はご飯が食べられる訳ですから、もう大歓迎です。母は商売をしていたのでチラシでも配って挨拶に行って営業をして来いと言うんですけどね、この仕事はただ営業して人を集めればいいというものではない。人が人を連れてくる、縁ですね。いまの利用者もみんなそういう感じで利用につながっています。
 介護保険が始まるまでは、どんなに頑張っても月90万円の収入で食べるだけで精一杯、ボランティアのようなものでしたが、いま思うと輝いていた時代かもしれない。でもやっぱり10年続けてたら疲れてましたね、きっと。平成12年に介護保険が始まって、まともな事業として成り立つようになりました。
 それまで自宅でやっていたのが、平成13年に78坪の土地に60坪の「にぎやか」を建設しました。通所介護、身障デイ、特区事業で知的障害と障害児も受ける、惣万さん流に言えば、7つのデイサービスが一つ屋根の下に集まった、富山型デイです。

 にぎやかのコンセプトは、1)死ぬまで面倒みる、2)ありのままを受け入れる、3)いいかげんでーす の3つです。
 にぎやかは、利用者には訪問も外出同行も、何でもやります。ショートの必要が出てくれば、みんな通い慣れたところに泊まりたいんですね。今は住む人も出てきました。2階が「にぎやか荘」になっていて、2人の住人がいます。
 そのうちの一人、ウノさんはにぎやか荘の創設者です。内縁の奥さんと13年二人暮らし。40代の時に脳出血で言葉を失い、マヒが残りました。言葉を発することができないので、ウォーッ、ウォーッと大声で叫びます。奥さんが人工関節の手術をするときに本人のショートステイ先を探したのですが、4か所お願いして断られてしまいました。ケアマネさんが「もう行くところがないから精神病院へ」と言うので、にぎやかでやりますと言ったら、ケアマネさんは「上司と相談しないと」と言って、何とストップをかけてきたんですね。頭に来て、ケアマネさんとの契約を打ち切ってにぎやかで預かりました。奥さんの手術が終わってもなかなか帰る話にならないのでどうもおかしいと思っていたら、奥さんが「私はずっとこの人の面倒を見てきた。でもこれから先、もう少し違う人生があるんじゃないかと思った」と言ってきて、結局ウノさんと奥さんとは別れることになり、にぎやかで暮らすことになったんです。
 そうしたら、そのことが町内会で問題になりました。「そんな大声を出す人は山の中の施設でみればいい」「にぎやかは自分の利益ばかり考えている」などと…。一時期は、人が怖くなりましたね。引きこもりの人の気持ちが分かったような気がしました。人間というものは表向き笑っていても、心の中では何を考えているかわからない。自分たちは絶対に、にぎやかに通う人たちのようにはならないと思っている。
 いまは“地域”は存在しないと思いました。人に迷惑をかけない、干渉しないのが暗黙のルールになっている。迷惑をかける人はそのルールに合わないから、住宅街ではなくて人里離れたところで暮らすのがいまのルールなんです。
 最初は何とか理解してもらおうと頑張りましたが、反感を買うだけでした。正しいことを言っていても押しつけてはだめなんですね。いま、町内会のムードは「諦め」です。わたしたちはその先の段階を狙っていて、それは「慣れ」です(笑)。
 私たちは、いまの時代に失われてしまった「人の匂いのする地域」を、にぎやかを拠点に再生していきたいと思っています。いろいろな人たちが暮らしている、子どもがそれを見て育つ。そんな地域です。
 講演に呼ばれて話をすると、「わたしも小規模多機能をやりたい」とおっしゃる方がいます。でも最初から「小規模多機能をやる」というのは間違いで、一人の人を看ていたらいつの間にか小規模多機能になったというのが正解ではないでしょうか?
 人はいつか老いていきます。介護する側がカバーすることで、老いや障害をその人のハンディにせず、年をとって障害をもったらなおさら良い人生を送れるようにしたい。
 にぎやかでは、徘徊も暴力もそのままです。徘徊する人とただ一緒に歩くだけ。“この人のため”だけがルールで、スタッフがその時々、それぞれの判断で動きます。小さいからこそ成り立つことなのかもしれませんね。

質問: 命を元気にさせ、命を輝かせるという話をしてください。
阪井: 一週間前に立山に登ったイチローくんの話をします。彼は大人になって脊髄小脳変性症を発病し、現在はほとんど寝たきりの状態です。元気だったときには毎日、立山の雄大な景観を眺めながら働いていました。そのイチローと一緒に山へ行きたい!と、にぎやかスタッフも一緒に登ってきたんです。同行したお母さんは「一郎が生きてるからみんなで立山に来れた」と、彼に感謝していました。
質問: 阪井さんはストレスはないんですか?スタッフは?
阪井: にぎやかのスタッフの存在価値は、世の中の不条理と闘うことです。制度の狭間に落ちてしまっている人、不器用さから地域で受け入れられない人。そういう部分にこそ仕事のやりがいがある。厄介な人たちに出会うと、「自分たちがみないで誰がみるがよ」と結束するんです。ストレスは日常の会話で、みんな本音で言い合って発散してます。正直に生きることでもっと世の中スムーズになりますよ。もちろん根底には情愛がある。いまは立派な大人たちが荒んでます。子どもに偏見を植え付けているのは大人です。

  子どもたちが弱者を身近に見て育つ地域にしたい。リスクのあることも選択しなければならない。ときには雑菌を口に入れて子どもは丈夫になるんです。

質問: 以前、にぎやかを訪問しました。スタッフだけでなくボランティアや学生がいっぱい集まってきていて自然な関わりがあり、日課もなく、規制にしばられない現場の様子が印象的でした。
阪井: “ありのまま”はスタッフにも言えます。人と闘うのではなく、自分と闘ってほしい。人を責めてしまう前に自分はどうなのか?

  スタッフを選ぶときは、資格よりも人生経験を、専門性よりも人間性を重視します。順風満帆よりも右往左往してきた人のほうが良い仕事をします。同情は誰にでもできるけど、共感できるか。どちらかというと、不器用な人を選んでますね(笑)。新卒の若い人を雇ったこともありますが、介護業務はこなせても目の前に居る人と会話一つできずに関わりが成り立たない。辞めてもらったこともあります。

質問: 医療との連携はどうなっていますか?
阪井: 往診してくれる先生がすぐそばにいます。
文責:主催者

「ケア」をめぐる連続講座~第2回(2)デイハウス沙羅の実践~

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