スープのよろずや「花」

Vol.8 ドイツのジャンヌ・ダルク

 私達が(主人と私)ドイツの東海岸シールという小さな町を訪れたのは、もう十年余も前の事である。秋も終りに近付いた或る日、友人のTさん(この町に嫁いで来た日本人妻)に誘はれてシールに向った。

 この日は、ドイツの戦没兵士を祀る慰霊祭が行なわれる由で、街は賑わい活気が充ちていた。慰霊塔は海に面した白亜の殿堂で、その大きな円形の地下全体が墓地である。側にいる人の顔さえ定かでない。各々が手に花を手向け、ローソクの灯の中で、ぐるぐる廻りながらお参りするこんな光景は見たことがない。若い人達が多い故か墓地とは思えぬ賑やかさだ。点々と灯るローソクのゆらぎが美しい。その墓地の中に、日本人の二遺体が祀られていた。菊の花が手向けられ墓参も既に済んでいる事を知り、私達は深々と頭を下げた。

 感謝の気持と嬉しさに熱いものが込上げ頭を上げる事は出来なかった。御遺体はドイツが誇る潜水艦Uボートに乗って戦死した日本兵だった。青い海には、そのUボートが、その当時の姿のままで波間に浮いていた。私は、そのUボートの古ぼけた観覧券を今でも大切に持っている。裏庭には二本の桜の木が、寄りそうように植えられていた。

 帰路、私たちはちょっと面白い喫茶店に案内された。人々はもう六十才を過ぎた老人ばかり、コーヒを飲んだり食事をして思い思いに楽しげに話合っていた。私達が入って行くと、こちらに来て坐れと席を空け優しく向い入れる。今にもダンスなど踊り出しそうな、そんな雰囲気が感ぜられ、陽気な明るさが充々ていた。働らく若者は皆黒いエプロンをかけ、皿をいくつも持って出て来る力持ち。—こんなお店が日本にもあったら、いや、海の美しい千倉にあったら、と、頭の中をかすめた。だからスープの店「花」のお話を聞いた時は本当に嬉しかった。千倉にもあんなお店が出来るんだ、と、胸をふくらませた。

 もう、帰る時間が迫っていた。都心のホテルまで一時間余り電車に乗らなければならない。駅にはけたたましいベルの音が・・・私達が急いで飛乗ったとき、空席はなかった。一人の少女が自分の荷物を膝に乗せ席を作ってくれた。少女を云っても、もう十代の終りの頃か、彼女はノートを開いて、いろいろ書込んだり写したり勉強でもしていたらしい。まだ童顔のぬけきれないような彼女に、主人が慰霊祭に行った話しを英語で話しかけた。可愛らしい瞳をくりくりさせながら「私も、その帰りです」を云う。少女は今年大学に入ったばかりの一年生。「新前学生です。」と笑っていた。慰霊祭の話しから、いつか戦争の語りと移っていった。そして、「戦争は、もうご免です。もう、五十年余りも平和の尊さを身にしみて感じています」と、主人が語りの結びのように云うと、今まで笑顔で答えていた彼女が、突然、しかし静かな口調で、「私も戦争は嫌です。でも、今また国が戦争をしなければならない立場、そして、戦争の決意を決めたら私は国の為に戦うでしょう―そう、参戦します。」と、確かな口調で強く言い放った。まだ童顔のぬけきらない少女のどこにそんな一面がかくされていたのだろう。興奮のためか少女の顔は赤らんでいた。私達は悪い事でも訊いてしまったように、黙したまま立去った。別れた。

 —そう、あれから十年余り、彼女はもう立派な女性に成長しているだろう。しかし、私は時折彼女を想い出し忘れない。あの時の少女の瞳の輝きが、何人にもはばかられない心の言葉を、純粋に吐き出そうとする、そのまばゆいばかりの心の響きが分る。もう、少女に逢う事もないだろう。しかし、何処かで、又彼女に逢ったら私は尋ねるだろう。「現在でも、貴女の心の中に生きた、ジャンヌ・ダルクは健在ですか?・・・生きていますか?・・・ と。」

通信林

印刷用Vol.8

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