スープのよろずや「花」

Vol.36 人が人を裁くとはどういうことか(2)

裁判員制度が成立する根拠とは何か

神保: 高村さんは、市民が人を裁くようになると裁判の根拠自体がわからなくなるとおっしゃったが、前提になっている裁判の根拠とはそもそも何か。

高村: 法律は、一つの共同体の中での約束事だ。一般市民が約束事として承認し、承認することによって機能している。法律に基づく裁判の根拠は、法律の専門家が行うということだ。そういう制度であるから、一般社会が承認をしている。だから、私たち誰でもいい人間、一般市民が行って良いことではない。そうでなければ、そもそも法律家とは何ぞやということになる。

神保: 市民の司法参加の意味として、日本人は何でもかんでもお上に頼り、お上に任せておけばいいのだと考えることが問題なのではないかという指摘がある。自分が近代社会の担い手の一部だという意識が希薄で、何かあればすぐに行政等に頼るところが問題であり、司法に参加することで、参加意識が増すはずだと裁判員制度の推進派は主張している。

高村: 法律の専門家に任せることの意味は、市民が承認をするということなので、お上に全部預けるという意味ではない。それに、法律はあくまで主権者たる国民が、この法律でいきましょうという承認を与えているわけだから、決してお上任せではない。
むしろ、本来であれば、裁判は政治家たちが法律を恣意的に運用することを裁くことができる。あくまで三権分立だから、裁判はお上からは独立したものであるべきだし、そうであるという前提をもとに裁判制度というものを承認しているのだと思う。なので、お上に任せるというのは全く違う議論だ。

作家・高村薫氏インタビュー

2008年11月25日 ビデオニュース・ドットコムより

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