本の広場 - 「花の谷」の人びと ・ 書評


WAVE the FLAG


 東京堂に新しい本が入りました。著者の土本亜理子さんは、私がもう15年以上前に反原発運動をしていた頃、集会の場などで何度かお見かけしていたフリーライターで、つい最近、私の親しい友人の従姉妹であることがわかりました。そんな偶然から、彼女の新しい本を紹介してもらい、読んだところ、すごくいいので紹介することにしました。「花の谷の人びと」という本で、副題には「海辺の町のホスピスのある診療所から」とあるように、房総半島にあるホスピス「花の谷」に土本さんが通い、そこの院長、看護師、職員、患者、患者の家族、と話をしてまとめた本です。本屋さんでは手に入りにくい本ですので、興味をもたれた方はぜひ東京堂を通してお手に入れて下さい。

 私の父は1999年に亡くなった。もう5年たつわけだけど、今でも、父のことを考えると涙が出る。町で父に似た人を見ると哀しくなる。顔の形が似てるとか、鼻が似てるとか、髪の毛の薄くなり具合が似てるとか、なんで世の中にはこんなに父に似た人が多いんだろうといやになる。たぶん、あと10年たっても20年たっても、私自身が死を迎える真際まで、私は町を行く人に父の面影を見つけているんだろうと思う。

 どんなに心を尽くしてその死の瞬間まで寄り添っていられたとしても、親の死によって受けるダメージは誰でも大きいと思う。ましてそれが、自分にとってとても不本意に起きた突然の出来事で、それまでにも決して親に対して誇れるような自分ではなかったとしたらなおさらだ。父は突然逝き、私はその瞬間にいなかったし、父が病気に負けそうになりながらなんとかがんばっていたときも、ほとんど側にいなかったと言っていい。いろんなことから逃げていた自分を感じるし、そのことが重たい後悔になって消えずにある。

 父が癌だと宣告されたとき、もちろんショックを受けたけど、今は癌イコール死というわけではないし、いろんな治療法を調べて、なんとか気持ちを整理して、前向きに暮らしていくことは可能なんだと思っていた。思ってはいたけど、具体的に父にそういうことを伝えて励ますとか、役にたちそうな情報を与えるということはほとんどしなかった。がんばってくれるだろうと思っていただけだ。私と違って、手術シーンのあるドラマさえ直視できない人だったけど、父なりにがんばって一回目の手術を終え元気になった。でもその後に再発してからは、がっくりと力を無くしたように見えた。あきらめてしまったように見えた。そして、励ます時間もなく、2回目の手術の後に父は逝った。私が最後に聞いた父の言葉は、手術の直前につぶやいた「がんばれがんばれってみんな言うけど、もうがんばれない」だった。

 「花の谷の人びと」を読んだ時、つい父と重ね合わせてしまい、涙が止まらないところが何ケ所もあった。父が手術をした大病院の薄暗い地下の霊安室、そしてあのひどい裏口。青い大きなポリバケツがたくさん並んだ湿った裏口から遺体を運び出されたときの、なんともいえない怒り。「花の谷」では霊安室はなく、出入り口は1つで、亡くなった患者さんも、体調が良くなって帰宅する患者さんも、同じ出入り口を使うという。このことだけでも私には大きな大きな違いに思えた。

 大学病院や総合病院から「花の谷」に転院してきた患者さんが結構いる。そういう人達の言葉が胸にささる。「大きな病院は治療はいいけれど神経が休まらない。廊下が継ぎはぎだらけで手押し車やカートが通るたびにガチャガチャうるさい。大きな声を出さないと聞こえない患者もいるから仕方ないけど、看護師もガヤガヤうるさい。私はそういううるささが嫌い」と言った患者さんがいる。私は思う。父もうるさいのが大嫌いだった。きっとこんな風に思っていたはずだと。「大きな病院では病人が看護師の流れにあわせる。花の谷は患者に合わせて面倒を見てくれる。だから花の谷がいいんだ」と言った患者さんの言葉もあった。私は去年、私自身がある手術のために2週間ほど入院した。手術もうまくいき経過も非常に良かったので、入院生活はそこそこ快適だった。でも同時に、「これくらい経過が良くて『元気な病人』でないと、病院ではラクに過ごせないんだ」ということも思った。本当に心身が弱った人が来るのが病院のはずなのに、そこそこ元気でないと気持ち良く過ごせない場だということを、身をもって実感していた。

 「花の谷」は、千葉県千倉にある。海に近い建物は広々として、写真で見る限りでも病院らしくない。あちこちに骨董品が置かれていたりする。伊藤真美院長の趣味だという。名前の通り、温暖な気候を利用して周囲に花はたくさん咲いている。院長自ら草むしりをする。陶器のお茶碗でごはんが出る。パソコンも使える完全個室。「ソフトも大事だけどハードも大事」という院長の考え方。そういう居心地のいいホスピスというだけなら、他にもあるかもしれない。ただここは、一応ホスピスと書くけれど、ただのホスピスではない。終末医療と呼ばれることも行うが、近隣の人達のためにホームドクターのような普通の外来診療もするし、在宅医療を選んだ患者さん達のために往診も行う。在宅で看護する家族達の負担を軽減するためにデイケアセンターの役割も果たす。それが、私にはすごく魅力的に思えた。

 私がこれまで考えていたホスピスとは、「死を待つ人の居場所」だ。死を覚悟した人達が、その直前まで威厳を保って暮らせるように、痛みを取り除くなどの最小限の治療だけを受けて、心静かに過ごす場所。そういう場所は必要だろうな、自分もそういうことになったら入りたいな、とは思っても、「そういうことになったら」というタイミングはいつなんだろう、という疑問はずっと持っていた。例えば私の父は、ホスピスに入るべきだったんだろうか。ちょっと違うだろうと思えた。「花の谷」に来た患者さんの家族の中にも、ホスピスと聞いて「死ににいくところだよ、ちょっとやだね」と感じた人のことが書いてあった。まさにそうで、ホスピスと聞くと、「死にに行くところ」「死を待つところ」というイメージが強く、それも大事だと思いながら、どこか自分の家族や自分自身の行くところとしては考えられない雰囲気をつくっていた。

 本当に覚悟の時を超えたら、やはりホスピスが必要だろうと思う。だけど多くの病人は、そこまではっきりと自分の人生を区切ることができないのが普通じゃないかと思えた。でも死は必ず来る。「花の谷」は、人があたりまえに持つそういう迷いの時間まで見越してくれる場に思えた。少なくともそうあろうとしてくれているように。死という事実から逃げずに生きることを考えるのは難しい。だからこそ私は父から逃げていたんだろうなと思う。でも大事なのは、死から目をそらさず、しかし生きることをまっとうすることであり、そのやり方には百人いれば百人の選択肢もある。「花の谷」がベストとは言わない。ただ少なくとも、多くの「大きな病院」よりも、死と生を切り離さずに、生きることをまるごと支える場に思えた。必要なのはそういう場だと思う。父にやってあげたくてできなかったこと、を考え続ける私にとって、1つの明るい選択肢を見て、心が少しだけ軽くなった本である。(石渡希和子)

WAVE the FLAG http://www.edagawakoichi.com/ より引用