かばい手の思想を通して伝えたかったこと-地域リハから終末期リハまで

講師:大田仁史 (茨城県立医療大付属病院院長)
2003.12.13

 『かばい手』とは、相撲で使う『手』のことで、上になった力士が下敷きになった力士に怪我をさせないように先に手をついても負けにならないと言うものだそうです。
障害者、老人、病人、子供などの社会的弱者に対してだけでなくこの世の全ての事象において強いものだけでなく弱いものに目を向けていくこと、共に生きる誠意を示すことが、これからの世界の運命を左右すると話された。
 『老人は死んで下さい国のため』という川柳が朝日新聞の川柳で取り上げられたが、このような国になってしまってよいのでしょうかと私達に投げかけていらっしゃいました。
 終末期リハについては、『自立は望めず自分の力で身体の保全をなしえない人に対し最期まで人間として尊厳ある存在を保証する為、医療、看護、介護と共に行うリハビリテーション』と定義された。人間として尊厳ある存在を保証する行為とは・清潔の保持・不動による苦痛の解除・不作為による廃用性症候群の予防・著しい関節の変形、拘縮の予防・呼吸の安楽・経口摂取の確保・尊厳ある排泄手法の確保・家族へのケアをあげておりまさに私達が毎日行っていること、行おうとしていることだと思った。
また援助するに当たって、座位になれるかなれないかは大きな違いで、座位になれればトイレへの移動、車椅子での外出の可能性が出てきて、退院後に陥りやすい孤立化、孤独感の解決の糸口になると言う。孤独と言うことについては退院後の多くの人が体そこそこ、心鬱々としており、人間関係の縮小かがみられると言う。交流できる場作りの重要性を強く話されていた。同じ状況の人との交流の場は、自分のことしか見れなかった人が自分と、他人を見比べることで未来を見つめることが出来るようになると言うことだった。
 病院の中だけのリハではなく、一人一人の生活に必要なリハ、そしてその後の生活を見据えた考え方にあらためて共感した。
初台リハ病院は、全てのスタッフが患者さんと同じ目線で活動しようとしている意気込みを感じた。スタッフ、設備が整っているこのような病院が、随所に出来れば、病気を患っても安心できるし、希望が持てると思った。

看護師:芳賀敦子

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